食人・奇形・猟奇事件研究所 食人文化ファイル0066
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| 日本も、人肉が薬と信じられた時代があったことは以前にも述べた記憶がある。 しかし、その時代が明治時代にもあったことは、紛れも無い真実で、裁判事件にもなっている事を、殆どの人は知らないであろう。 1902年、惣介(11歳)が行方不明となり、捜査の結果、死体として発見された。 その死体の両臀部、両目玉が取られていたのである・・・ この事件の犯人は、すぐには捕まらなかった。 1905年に都築が首吊り自殺したが、捜査に怪しい部分があり調べると野口男三郎という男が浮上した。 実は、この事件の10日ほど前に、彼の義兄である、ハンセン病に犯されていた野口寧斎も急な病死を遂げていた。 野口男三郎に調書した結果、殺人を認め、その中に惣介殺人事件も含まれていたのである。 男三郎は惣介を殺害し、その後、コンロと鍋を買い船に乗り沖に出たという。 そこで2時間ほど惣介の臀部の肉を煮込み人肉スープを作った。 コンロや煮た肉は海に捨て、町で鶏スープを買い、人肉スープと混ぜ合わせた。 それを持ち帰り、寧斎に飲ませたのである。 また、嫁で寧斎の妹にも、それを飲ませた・・・ この時代、ハンセン病等、不治の病などに人肉が効くと信じられていたのである・・・ 裁判では、これら事件をでっちあげと否定したが、都築の殺人は十分な証拠があり死刑となった。 この時代には人間の頭を黒焼きにし、丸薬にする事件が何件もあったと言われる。 中でも墓守が死人の首を切り、売人に売っていたとして逮捕されている。 野口寧斎 |