食人・奇形・猟奇事件研究所

猟奇殺人ファイル0046
チャールズ・マンソン T




チャールズ・ミルズ・マンソン・・・
現在も殺害判決で投獄されている彼を信教している者も多い。



では、チャールズ・ミルズ・マンソンの経歴について説明しよう。

彼は、1934年11月12日オハイオ州で私生児として生を受けた。
しかし、5歳のときに母親がスタンド強盗で逮捕されマンソンは親類の家を転々とするようになった。

母親の愛情も無く、マンソンは9歳から少年院の厄介になるようになっていった・・・
しかし、21歳に結婚、これで改心したかと思いきや、すぐに離婚。
売春組織に手を染めまたも刑務所暮らしを行うのであった。

そして1967年に釈放・・・
その時、世の中はヒッピーブームとなっていた。
伝統・制度などの価値観に縛られた社会生活を否認するのがかっこいい生き方だという考え方である。
このヒッピーの多くは中流社会に育ち、ドロップアウトした者が憧れ、その道に傾いていった。

彼の風貌と考え方がヒッピー達にうけたのか、彼付いてくる仲間が増え始めた。
仲間と盗みを働きながら旅をしたりし、彼のリーダー的価値が時代を動かせ始めたのだ。

1968年には、「マンソン・ファミリー」と呼ばれる団体が出来上がってしまったのである。



1961年に結成されたアメリカのザ・ビーチ・ボーイズは当時、一部に熱狂的ファンを持つロックバンドであった。
このグループのドラムを担当していたデニス・カール・ウィルソンとマンソンに親交が始まり、「マンソン・ファミリー」は彼の屋敷に住み込むことになるのであった。
ここでデニスがマンソンにテックス・ワトソンを紹介するのである。

 ザ・ビーチ・ボーイズ

その後、信者の2人の女性がマンソンの子供を産み、「マンソン・ファミリー」は牧場で暮らすようになった。
彼らは物を盗み、それを売って生活を続けたのであった。

このような生活を続けるうち、マンソンの考え方は妄想の世界に入っていった。
ハルマゲドンが起き、マンソンの批判する黒人達の世界がやってくる。
しかし、黒人達を「マンソン・ファミリー」が逆に統治すると・・・

そのハルマゲドンを勃発させるのに、黒人が何か悪いことをした事にしようと思いつくのであった。
そう、アメリカの黒人解放組織・ブラックパンサーを利用しようと・・・





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