食人・奇形・猟奇事件研究所

猟奇殺人ファイル0051
下山事件




連合軍に占領されていた1949年(昭和24年)7月5日に下山定則(49)が三越日本橋本店より行方不明になった。
そして、7月6日午前0時25分ごろに常磐線・北千住駅―綾瀬駅間を走っていた電車2401Mの運転手が轢死体を発見。
その死体が下山定則であった、




下山定則は、国鉄の初代総裁という立場であった。



0時20分に通過した貨物列車869が轢いたことが判明、早速遺体から死因を追及した。
それは他殺か自殺かを調べるためであった。



この事件の前、下山は公務員整理ということで、国鉄関係者62万人中12万人を削減する最中だった。
他方から恨まれての殺人、ストレスに負けての自殺が注目された。

これは線路に残された血液が少ないことと生活反応のない傷があることより殺された後に線路に捨てられた殺害説が出たが、検視経験を長くつんだ経験者によると雨のせいではっきりせずよくある轢死体同様との意見も出た。

この意見は結果が出ず、今に至るのである。


自殺説を唱えるものは、下山らしき男が2時ごろ末広旅館を訪れ17時20分まで、その旅館でくつろいでいたと言われる。
その後、末広旅館を出た男は何人にも見られてる。
しかし、かなりのヘビースモーカーだった下山は1本のタバコも吸った形跡はなかった。

こういった事から、この男は自殺に見せかけるための替え玉という話もある。






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